chatGPT協奏曲?

昨今話題のchatGPT。そのもの自体より、それに対する人々の反応に何となく既視感を覚えた。

似たような反応を振り返るとキリが無いが、遠く遠く記憶をたどると小学校の頃を思い出した。当時、電卓なるものが一般化(とっても安価に入手できる)した時代だった。その時、社会の反応は、「授業では使用してはいけない(暗算、筆算、そろばん?)」、「子供に使わせるべきではない」、、、といったものであったと記憶しています。

さてさて、その後、電卓どころかパーソナルコンピュータ、タブレット、スマートフォンといったデジタルデバイスが身の回りにあることが通常となった現在、当時の議論はどうだったのかな?と考えてみます。
もし今、「暗算や筆算は得意ですが、デジタル関連のものは全く苦手で、電源入れるのがやっとです。。。」という状態だったら生きにくいのではないだろうか。むしろ、どんどん進化し続けるデバイス類に臆することなく、柔軟に利用できるマインドセットに幼少期から慣れておいた方が良かったのではないかと思います。

とはいえ注意すべきことがあると思います。それは、chatGPTに限らず、あらゆるデバイス等に対して全てを委ねる、すなわち全てを依存することは危険だと感じます。例えばデータを分析し解析する際「このプログラムのこのアイコンをクリックすれば結果が出る。」だけになってしまうと、その結果が何らかの理由で間違っていた時も気づくことができなくなります。これが機械の言いなりになるという状態ではないかと思います。
もちろん、全て暗算、筆算で行え!と主張したいわけではなく、もし間違った結果が出てきた時には「あれ、何か変だな」「なんでこうなるのだろう」「想像と違ったなぁ」といった違和感を持てるような感性を備えるために、最低限でも大まか結果や方向性を”暗算・筆算”ができるようにしておいた方が良いと思うのです。

自分自身、上述したことに気をつけながら、最新のテクノロジーを”相棒”として積極的に活用し倒す。そんな柔軟性・適応力を持ち続けたいと思っています。

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