もっとたくさんの事を学び、常に自分を研鑽し続けなければ。日々そんなことを考えています。でも、それは何のため?とふと考えてみました。
改めて、そんな自問自答をして気がつくことがありました。
自分は、「研究者が抱える何らかの悩みに対し共感し、一緒に考える存在でありたい。」と願っているのだと思います。そしてそのためには、「どんな領域の悩みに対しても対応できるよう、できるだけ多くの知識や経験を増やしたい。」という欲求があるのではないか、というのが自己分析の結果です。ここで気付いたのは、もちろん良い解決方法などのアイデアを出せるだけの知見はあったほうが良い、でも”悩みの本質”を引き出すような質問の技術はすごく大切だということです。
たとえば、「エクセルで、こういう値を算出する関数を知っている?」という相談に対して「それはこの関数ですよ。使い方は…」と回答できることは大切ですが、そこで「その算出した値を何につかうのですか?」と質問し、ある傾向の変化をより早く検知したいという要望を引き出すことができれば、「後からこの値を算出し確認するよりも、実施する際にこういうことを確認する仕組みにしてはどうですか?」という提案ができると思います。さらに「なぜ、その傾向が変化すると困るのですか?変化しなければどうなるのですか?」といった質問をすることができれば、そもそも、その現象自体が発生してほしくないという”悩みの本質”にたどり着けるのかもしれません。そうすれば、その現象自体が発生しづらくなるような第三の解決策も提案できるようになります。
…このこと、もちろん理屈ではわかっているのです。しかし実行するのは意外と難しい。。。上述の例においても、研究者からすると、ややもすると”禅問答”のように煩わしく感じられてしまい、最初の段階で「いいから、この関数の記載方法だけ教えてくれ!」と、”悩みの本質を探求する旅”にはつきあってはもらえないのです。つまり、「EDCに、この値が自動導出されるように設定してください」という要望に対して、「その値を何に利用するのですか?」と言いかけた段階で「いいから、そのように設定してください」以上、で終了となってしまうのです。。。
解決策をひらめくための土台となる知見を研鑽することは大切。そして、それ以上に悩みの本質を引き出せる”質問の技術”を研鑽することも大切だなぁと痛感するのでした。